6月24日(金)レイク・チャールズ(Louisiana)〜サン・アントニオ(Texas)


AM6:30、起床。晴れ。よく眠れた。

AM7:30、シリアル、バナナ等で朝食。この時点で全身から汗を吹き出しているブリッタが「5マイル(8km)走ってきた」と言う。何というスタミナ!車の運転だけでは体がなまってしまうとでも言うのか。

「ツアー・リーダーの仕事は、今年で3年目になる。それも夏だけのアルバイト。冬は客が少ないので仕事がないの。一昨年は7回、昨年は5回ツアーに出たが、今年は大学院に行くのと、友人の結婚式があるので2回だけです」と言う。

AM8:30、今日、我々の車は、テキサスのサン・アントニオSan Antonio)まで高速道路10号線を西に600Km走る。更に私が昨晩「ヒューストンの宇宙センターに行ってみたい」と言ったのを聞いてくれて、そこにも立ち寄ると言う。

               
                                                              Lake Charles-3

AM10:00、トイレ休憩。

AM11:30、ヒューストンの、NASANational Aeronautics and Space Administration:米国航空宇宙局)、ジョンソン・宇宙センター(Johnson Space Center)に到着。此処はヒューストンの中心街から20km程、南東の郊外にある。例によって、トレック・アメリカの割引とシニア割引があって、通常21ドルの入場料が15ドルに。

敷地内の殆どの部分が立ち入り禁止だが、一部がテーマパークとなっており、ゆっくりみて歩くと1日掛かりになるらしい。我々は、限られた時間の中で、2時間ほど見て回ることに。最初に発射の瞬間の迫力に満ちた映像を見た後、園内をトラムNASA Tram Tour)に乗ってコントロール・センターやサターン5号の展示を見て回った。

               
                                                              NASA Tram Tour


          

 NASA-2

             
                                                                        NASA-3

 

        
                                                                   NASA-4 

本当に見たい所は立ち入り禁止になっている為、満足したとは言えないが、NASAの在る場所を確認できたことは意義がある。これから、テレビでNASAが放送される度に、身近に感じることが出来ると思うから。

PM2:00NASAの敷地内に在る、東屋風の休憩所で昼食。

ヒューストンは全米第4位の大都市(1位NY、2位LA、3位シカゴ)で、その地名はテキサス独立のために、メキシコ軍と戦ったテキサス義勇軍の将軍名「サム・ヒューストン」から来ている。

PM2:30、出発。車内に入ると私の席に、大きな枕が置いてあった。私がブリッタに頼んでおいた物を、我々がNASAを見学中に買って来てくれたのだ。これで今日から更に快適に寝られると思う。4.5ドル也。

PM4:30、トイレ休憩。アイスクリームを購入、1ドル也。

PM6:00、キャンプサイト(San Antonio KOA)に到着。早速テント張り。この合理的にできたテントのメーカーはREI社で、HALF DOME 4HC 3-season TENTと書いてある。将来購入することがあれば参考にしよう。

PM7:00、夕食の支度にかかる。今日のメニューは、牛肉と野菜を炒め、ソースを加えて塩胡椒で味を調整。こちらは私の担当。こんな時は醤油が欲しいが、ニュー・オーリンズのホテルであげてしまったので無い。それにブリッタは醤油が好きではないらしい。「ショッパすぎるから」と言う。私には少し甘い味だが、それでもまずまずの出来映えでした。

ところが主食を担当したアッキーは、昨日のカレーライスの残りご飯に水を入れ、香辛料を加えて、ぐちゃぐちゃにかき回している。結果がどうなったかは想像にお任せするが、米の姿はどこにも見あたらず、見るも悲惨な姿になっていました。「キャンプだから、こう言うのも有りか」と、諦めにも似た心境で口に運びました。

食事が済んだ頃、ヤング・グループのツアー・リーダーが立ち寄った。「1日早く到着して昨日から居る」と言う。彼女のことはブリッタから聞いていたので確認してみた。「今度の冬、日本に来るんだって?」「この度の日本の大地震の後、アメリカのNGOが建築関係に参加しているので、それが済んだ頃、会計のまとめで行くことになりそうです。アジアにはまだ行ったことがないし、特に日本には興味があるので期待しています」との事。

彼女は、「名前をアマンダ・コルテスAmanda Cortes)と言い、父はコロンビア人、母はアイリッシュです。パナマの南がコロンビアですが、そもそもパナマはコロンビアに属していたんです。それがパナマ運河の通行料収入が大きいために、国土の10分の1しかないパナマがアメリカを後ろ盾にして、独立したんです」と意外な話を聞くことに。「日本に来たら、会えると良いね」と言うと、「そうできたら私も嬉しいです」と言っていた。

PM9:30、ヤング・グループの韓国人女性、ヒュン(Hyun)とオランダ人男性、ヨハン(Johan)との3人で懇談。3人は英語が母国語ではないという共通点を持つ仲間だ。我々はたどたどしいながらも、互いの考えを披瀝しながら懇談できる。今夜の話題は、中国の現状と今後について、各国の英語教育の現状とその是非について、日本における漢字と平仮名の歴史について等であった。

PM11:00、就寝。天気良好。


6月25日(土) サン・アントニオ


AM6:30、起床。天気晴れ。昨日と今日で大分虫に食われた。旅行中に一度は必ずやられる。その確率は高温多湿の地域でやられることが多い。

AM7:30、朝食。

AM9:30、出発。とは言っても、今日は此処サン・アントニオの町を自由散策。ブリッタが地図を見ながら主な見所を説明してから、車でダウンタウンへ連れて行き、アラモの砦前で解散。夕方の5時半まで自由時間である。

AM10:00アラモの砦を見学。ここは1836年に、メキシコの圧政から自由を求めて独立宣言したテキサスに対して、領主国メキシコの独裁者サンタ・アナが攻撃を仕掛けた所。かくして7千人のメキシコ軍を相手に、185名の勇者達による13日間に及ぶ壮絶な戦いが始まった。その時の此処は教会、病院等の複合施設が在ったところ。ジョン・ウエイン主演の「アラモ(The Alamo)」は有名だがその砦が此処なのだ。背景を知らない時は、単なる娯楽映画として見ていたが、日本へ帰ったらもう一度見てみたい。

 

           
                                                 The Alamo-1(アラモ伝道所)

この後しばらくの間、テキサスはアメリカに併合されるまでは、独立国であった。今でも住民の50%以上がメキシコをネイティブにし、スペイン語を話すと言う。また、現在もメキシコからの不法移民が後を絶たないが、背景には過去の歴史も反映しているように思われる。また最近になってからも、アメリカから独立しようとする動きがあると言う。それだけ豊かな州なのだそうだ。

          
                                                               The Alamo-2

           
                                                                The Alamo-3

AM12:00、アラモに関する映画を見る事に。これはポールの提案。私はあまり気が進まなかったがお付き合いした。シニア割引で11ドル。結果は案の定、映画が始まるや、すっかり寝てしまった。残念!!

映画館の入っているモールを出た川縁で昼食。メニューは今朝キャンプ場で作ってきたサンドウィッチである。これには日本から持ってきた、ストローベリーと、ブルーベリーのジャムが塗ってある。私にはおいしく感じられるが、西洋人は見向きもしない。彼らは各種のマスタードが好みのようだ。

PM1:00リバー・ウォークRiver Walk)を開始。この町はかなり汚れた地域であったらしいが、日本企業の主導で再開発して、今の美しい町ができたと言う話も聞いた。昔のどぶ川が、綺麗な運河になり、そこに多くの小さな観光船が行き交っている。その川縁が遊歩道になっていて、沢山の人が散策を楽しんでいる。

 

           
                                                                 River Boat

歩いていて感じることは、メキシコ系の顔が多いことだ。歴史的、地理的な背景を考えれば、納得出来なくはないが、それにしても多い。私はメキシコに行ったことはないが、この人たちを見ていると、此処はメキシコではないのかと思うほどである。聞こえてくる言葉もスペイン語が多い。

 

           
                                                                   River Walk

PM2:00、近くのメキシコ・マーケットへ。この一角は100%がメキシコ人だ。両脇の建物内の店は勿論、路上の露天商も、流れる音楽も全てがメキシコである。此処の一角のアイスクリーム屋で一休み。ポールとリンダは2スクープ、私は1スクープを注文。1スクープでも十分の量であった。

私たちが木陰で休んでいると、赤子を抱いて隣に座っていたメキシカンの顔をした婦人が「どこから来たんですか」と声をかけてきた。日本、イギリス、オーストラリアとそれぞれ答えて、話題は赤ちゃんに移った。生後4ヶ月になるというその赤ちゃんは、私が小指を差し出すと、しっかり握ってにっこり。可愛いことこの上なし。

ただ、この子はどう見ても黒人の子であった。そしてその兄らしい4、5歳の男の子が、母に寄り添ってきたのだが、こちらはどう見ても白人の子であった。こんな兄弟がどうしたら出来るのだろうと不思議に思って、後ほどポールに聞くと「フォスター(里親)制度だ。孤児を引き取って育てているんだよ。政府の援助もあるんだ」と解説してくれた。なるほどそう言うことかと納得の私。

PM3:00、たまたま風格のある教会(San Fernando Cathedral)に立ち寄ると結婚式が終わったばかりの所に出くわした。参加者の殆どはシカゴから駆けつけている。理由は二人の出身がシカゴで、職場がこのサン・アントニオだからと言うことだ。美しく、晴れやかな結婚式だが、そうであればあるほど、アメリカの離婚率60%が頭をかすめていく。

     

                                                San Fernando Cathedral-1

           
                                                   San Fernando Cathedral-2

PM4:00、もう一度、リバー・ウォークに戻り散策。大分疲れてきたが5時半の集合時間までは時間をつぶさねばならない。客待ち顔のウエイトレスが可愛かったので、声をかけると、離れて立っていた3人が駆け寄って、ポーズを取ってくれた。

            
                                                                     River Walk-2
 

更に、街を歩いていると軍服姿の若い男性が目に付いた。その中の一人に声をかけると『昨日、空軍学校Air Force)の卒業式があったのです』と教えてくれた。写真撮影を申し込むと、そばに居た両親が誇らしげに笑っていた。

            
                                                                   Air Force
 

そして、階段に寝ころびながらも妻の腰に手を回している夫婦が目に付いた。雑踏の中で眠りこけたような姿が良かったのだが、声をかけると起きあがってポーズを取られてしまった。それでもシャッターを押すと、向こうから「サンキュー」と言われた。

     

                                                                 River Walk-3 

PM5:30、時間つぶしの散策を終えて待ち合わせ場所に行くと、ブリッタが石段に座って待っていた。これから皆で夕食を食べに、再びリバー・ウォークへ行くことに。川沿いに設けられたテラスで、メキシコ料理だ。私が食べたのは、チキン、ライス、豆をそれぞれトマトとスパイスで味付けしたもの。特に感動しない一品でした。15ドル也。

 

           
                                                               River Walk-4

それよりも、飲み物として注文したレモネードが、大きなコップで出てきたものを全部飲みきって、お変わりまでしたことに自分でびっくり。水を飲み飲み歩いてはいたのだが、これだけ汗を放出していたのだと気が付いた次第。ブリッタにも「十分水分を取りながら歩くように」と言われてはいたのだが。

PM7:30、帰途へ。途中のスーパーで水(3.8L入り)とリンゴ1個を購入。2ドル也。

PM9:30、シャワーを浴びてテントへ。お疲れさま!


6月26日(日 サン・アントニオ〜バルモヘア州立公園(Balmorhea SP


AM6:00、起床。朝食。テントの収納。

AM8:00、2泊したサン・アントニオのキャンプサイトを出発。車はテキサス州内の高速道路10号線(Interstate 10)をひたすら西へ走る。今日の走行距離は640Km

          
                                                           Interstate10
 

AM10:00、トイレ休憩。

AM12:00、テキサス州のオゾナOzona)ビジター・センターの何もない原っぱで昼食。周りの景色がどんどん変わり、草木が減少してくる。昨日までは高温多湿の湿地帯。今日は高温乾燥の砂漠地帯。アメリカは広大で色々な顔を見せてくれる。


            
                                                      Ozona Visitor Center
 

PM0:30デイビッド・クロケットDavid Crockett17861836年)の碑を見学。彼はアメリカ合衆国の軍人、政治家。テキサス独立を支持し、1836年2月23日から開始されたアラモの戦いで勇敢に戦ったが3月6日に陥落した。クロケットはメキシコ大統領サンタ・アナに捕えられ、処刑された。彼は今でもアメリカの国民的英雄で、我々には馴染みがないが歌にもなっている。それは誰もが口ずさむ国民的愛唱歌のようだ。

 

           
                                                  David Crockett (1786
1836)

PM2:30フォート・ストックトンFort Stockton)でトイレ休憩。車から降りるや、呼吸が苦しくなるような熱風。こんな所には、1分としてじっとしておれない。車の通行は結構あるが、歩いている人は皆無である。何度位あるのかブリッタに聞くと「天気予報では最高気温111°F(44)、最低気温85°F30℃)と言っていた」と。東京では最高気温が36℃位だから、湿度が低いことを考慮しても遙かに高い気温だ。じりじりと焼かれているような気分である。

 

           
                                                           Fort Stockton-1

            
                                                             Fort Stockton-2

PM4:00、今日のキャンプサイトである、テキサス州のバルモヘア州立公園Balmorhea State Park)に到着。此処では山からの伏流水が湧き出しており、砂漠のオアシスになっている。自然の泉(San Solomon Springs)に手を加えて、プールが造られ、誰もが来て泳ぎを楽しめる。今日は日曜日と言うこともあってか、大勢の人出で賑わっていた。我々も到着次第、水着に着替えてプールへ。

 

           
                                                      Balmorhea State Park

 

           
                                                       San Solomon Springs

西洋人や若い人には心地よい水温であろうが、小生には少し冷たすぎるので、100m程泳いで木陰で休むことに。このプールでは、ハゼやフナほどの魚が一緒に泳いでいる。自然のなせる技であろう。やがて、優に150kgを越えていそうな女性がやって来た。どうやって泳ぐのだろうと見ていると、これが意外にもクロールでスイスイ。小生より余程軽快だ。水の中では太りすぎが、ハンデにならないようだ。

PM6:00、そろそろ引き上げようかと言う時になって、先ほどまで軽快に泳ぎを楽しんでいたリンダが、「目まいがする」と言う。しばらく様子を見てから、「とりあえず涼しい所へ行きましょう」と手を出すと思い切り私の腕に抱きついて、寄りかかられてしまった。こちらとしても成り行き上、支えないわけには行かず、思い切り水着姿のおばさんの腰に手を回さざるを得なかった。腰がクビレテいればまだ様になろうが、ビヤ樽状態では、「もうどうにでも成れ」の心境だ。衆人注目の中、二人三脚よろしく50m程歩くと、リンダが崩れ落ちるようにして尻餅をついた。「メマイがひどくて歩けない」と言う。


ブリッタがプールの責任者を呼んできた。「救急車を呼ぼうか?名前は?今日は何日か分かるか?」とリンダの状態を確認している。結果、ゴルフカートでキャンプサイトまで運ぶことに。問題は今夜のテントでの野宿が可能かどうかである。リンダはホテルに宿泊したいと言う。ブリッタが一人一人に希望を聞く。私は日中の気温、44℃の事を考えると、ホテルに逃避したい心境になったが、此処で逃げたのでは、今回の旅行の意義が半減してしまう。ある程度の過酷さは想定して来たはずである。そこで「私は多数の意見に従います」と答えた。ポールは「野宿する」と言い、アッキーは「ホテルにしたい」という。ブリッタが出した結論は、私はテントで寝ることになった。


PM7:00、まず、町へ行ってホテルを探し、リンダとアッキーの宿泊場所を、確保しなければならない。私はキャンプサイトの暑い所に居るよりも、車の中が良いと思い、一緒に付いて行くことにした。10km程走ったところで最初に見つけた宿は、税込み素泊まりで100ドルと言われ、高すぎると諦めた。2件目の宿は同じく56ドルだと言われ、こちらに決めた。ただし長屋のような宿である。これを見たアッキーは「私もテントで寝ることにする」と態度を変えた。私としては仲間が増えて心強い。

ブリッタはリンダを車から降ろし、小さな店によって買い出し。私も喉が渇いたのでコーラを1缶。1ドル也。こちらでは「コーク」と言うと、コカインとコーラの両方の意味があるそうだ。 

PM8:30、キャンプサイトへ戻って夕食の支度。今日のメニューは、サーモンの照り焼きと野菜(タマネギ、ピーマン、トマト)だけのシシカバブ、つまり串刺しにして焼いたものである。穀類はお湯で5分ほど煮るだけで出来る簡単なもの(クスクスと言う)。ポールが言うには「アフリカが原産地である」そうだ。照り焼きにはキッコーマンの照り焼きソースが使われ、美味しかった。焼いた野菜も美味しかったが、穀類の方は口に合わなかった。

            
                                            Balmorhea State Park-2

食後、トイレに行く時、豪華なキャンピングカーCamper)のそばを通った。お願いして車内を見せてもらうことに。応接イス付きのリビング、オーブン付きのキッチン、後部に主寝室、運転席の上に子供用ベッドと至れり尽くせりだ。5人家族の一家だが、家ごと移動しているようなものであろう。英語ではmotor homeとかmotor caravanとも言い、日本語訳では「自走可能移動住宅車」となっていた。

 

           
                                                              Camper-1

 

           
                                                                  Camper-2

PM9:30、テント張り。この頃になると風が強くなり、テントが飛ばされて、なかなかうまく張れない。私はアッキーと協力しながら1張りずつ張っていく。今日は暑いので、一番上のカバーは無しにする。張り終わるや寝袋の上に転がり込む。

下着だけで寝袋の上で寝ていたら、腕から汗がジトーと滲んできたが、かまわず横になっているしかない。やがて風が強くなり、テントが飛ばされないかと不安になって来た。空は晴れているのに、この風はどこから来るのか。初めの内は熱風だ。それでも疲れていたのか、ウトウトしながら午前2時頃まで寝ていた。相変わらず強い風だ。起きるには早すぎるし、風の音を聞きながら再びウトウトと。


6月27日(月)バルモヘア州立公園〜カールスバッド(ニュー・メキシコ州)


AM6:00、起床。洗面所へ。ポールはテントも張らずに寝ていた。大した逞しさだ。あんなに吹いていた風が止んで、静かな朝を迎えている。暑さも治まって心地良さすら感じられる。しかしこの心地良さもほんの一瞬だ。6時半に昇り始めた太陽は、まるで個人に焦点を絞って熱を発しているように強烈だ。

 

           
                                                             Balmorhea-3

AM7:00、朝食。

AM8:00、キャンプサイトを出発し、リンダをホテルに迎えに行く。大分気分が回復したようで、一緒にツアーを続けられそうだ。4人揃ったところで、ブリッタが時間を1時間遅らせるように指示する。テキサス州から、ニュー・メキシコ州に入るに当たって、時差が生じるのだ。

そして「今日の気温は
107°F42℃)の予報だから、水分の補給を怠らないように。そして明日以降は、気温は下がってくるが、標高が上がってくるので、その点の注意が必要になる」と言う。

我々の車は高速道路(Interstate10号線から州道(State highway54号線、更に国道(US Highway62号線に入り、北に向かう。今日の走行距離は320Kmである。

AM9:00、トイレ休憩。気温が大分上がってきた様子で、車からちょっと出ただけで、肌がヒリヒリする。
 

                 
                                                       
State highway 54

AM11:00、ニュー・メキシコ州(New Mexico)のカールスバッド・洞穴群国立公園(Carlsbad Caverns NP)へ。今日のメインイベントは此処の洞窟の見学だ。その前に駐車場で昼食の腹ごしらえ。かんかん照りの中での立ち食いでは、食欲も湧かないが、サンドウィッチを無理矢理詰め込む。

 

           
                                                  Carlsbad Caverns NP-1

AM11:30、洞窟へ入っていく。足に自信のない人はエレベーターで下り、自信のある人は35分かけて降りていく。私は下りを徒歩で、登りはエレベーターを選んだ。此処の洞窟は、大きく深い。ただ、美しさにおいては秋吉台の秋芳洞の方が勝っていると思う。外の暑さに比べ洞窟の中はかなり冷えており、感動する造形物も少ないので、エレベーターより奥に行くことはせず、2時間ほどで戻ってきた。

            
                                                  Carlsbad Caverns NP-2

        
                                                Carlsbad Caverns NP-3

PM1:30、レストランの一角でコーヒーを飲みながら日記を書いている。

PM4:00、皆が戻り、出発。

PM5;00、今日の宿泊地、カールスバッドのキャンプサイト(Carlsbad RV Park & Campground)に到着。すぐにテントを張り、夕食の支度。メニューはチキンの照り焼き、トウモロコシ、野菜サラダ。茹でたトウモロコシ2本が本日の私の主食。まずまずの味でした。西洋人は昨日の残り物のクスクスを食べていたが、私にはトウモロコシの方が良かった。食事中、今回の旅で特に印象に残っている事を語り合った。

PM7:00、再び、今日の昼食後に入った洞窟へ出発。日没後に洞窟から一斉に飛び出すコウモリを見に行くと言う。行ってみると、洞窟入り口に造られた、円形劇場Amphitheater)に皆が集まっている。昼間にこれを見た時、こんなところに円形劇場があるが、どんな時に使うのか理解できなかった。階段状の石造りの観客席があるだけで、ステージが無いのだ。

            
                                                                  Amphitheater

ステージは、階段席の前方下に大きく口を開けている、洞窟の穴そのものなのだ。午後7時50分頃から8時15分まで、洞窟の特徴、撮影の禁止、電子機器の電源を切ること等についての、長い口上が係員からあった。私はどんなに印象的な一瞬が訪れるのか、今や遅しと目を凝らして待っていたが、ついにその瞬間は訪れなかった。その後20分間程の長きに渡って、数十羽ずつ飛び去って行くだけで、「数万羽のコウモリが洞窟から一斉に飛び出して、夕闇の空を真っ暗にする」ことはなかった。期待はずれでした。

尚、円形劇場(Amphitheater)の事を「アンフィシアター」と発音するのか、「アンピシアター」と発音するのか。辞書には「アンフィ」となっているが、ブリッタや現地のスタッフは「アンピ」と発音していた。

PM9:30、キャンプサイトへ戻り、インターネットを試みるも、シグナルが弱かったり、サーバーが混んでいたりで不成功に終わる。

PM11:00、シャワーを浴びて就寝。


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